Bittersweet

恋とは向き合うこと
愛とは同じ方向をみること

昨日、渋澤 健さんから、資本主義と愛のお話のなかで、
今朝ふと思った。

貴方を通して自分を知った
自分と向き合うことすらわからなくて
強烈な自分の感情が渦をまき、痛いって泣いた、
でも
痛かったのはあなた、だったかもしれない

愛という言葉はまだよくわからないけれど
その心に寄り添うことだと
花のように振り返ればそっとそこにいて
優しさというものは、本当は身を切る様に痛くて
でもきっと母親の子宮の中にいるように
守られて温かいものにも、違いない。

初めて恋を知った日。

2014.07.15

Talk show with Mikiko Minewaki-san


The show of students


Great thanks! Rina-san and everybody! Ma-san has a lot of energy, I had deep impression…

ヒコミズノの2、3年生の展覧会にてみねさんとお話してきました。生徒さんの作品を見ながら自分の興味がどこにあるのか、わかったのが新鮮な発見でした。
みねさんの若い学生さんたちを応援する思いがほんとうに素敵でした。
私はまだ旅の途中。日々学び、です。
この1年ほどで沢山教えて頂いたことがあります。それをひとつひとつ大事に、自分の力にして、自分にしかできないことがあると信じて、とことんまでやりきる、そう思いました。少しでもこころ動く作品をアーテイストと一緒に作り上げねばと。
ミネさん、来て頂いた方々、本当にありがとうございました。
ミネさんがArt jewelry forum にでています。英語ですがぜひご覧ください◎
http://www.artjewelryforum.org/interviews/discover-dissect-display

"Ted Noten"_ Contemporary Art Jewelry News Letter

◎はじめに・・・
ヨーロッパのアートジュエリーシーンを中心に”今何が起きているか?”を伝えるべく、長ーい英文を翻訳しニューズレターを淡々と送り続けている女性がいる、その名は アキヤマ マキコ女史。
彼女の仕事に共感した私は、イメージとして伝える部分をお手伝いすることにした。情報に溢れ、めまぐるしく変わって行く、そしてどこへ向っているのかわからない世界に、
愛を持って問いかけ、そして伝えたいこと。

長いけれど、最後までおつきあい頂けたら嬉しいです。

1.ジュエリーとは?
ジュエリー、この言葉から思い浮かべるのは、おそらく金、貴金属、ダイヤなど高価な宝飾品だと思います。戦後、1950年ごろからヨーロッパで伝統だけでないクリエイティブな表現を目指すアート性の高いジュエリーを作ろうという動きが広がりました。そのムーブメントは、モダニズム、ポストモダニズムの影響も受け、従来の枠にとらわれない素材使いや、コンセプチャルな作品、これがジュエリーなのかと問いたくなるような大きな作品、実際には身に付けられない作品と広く拡大していきました。これらのジュエリーをコンテンポラリージュエリーと呼びます。


Tiara for Maxima

2.テッド・ノートン
それから約50年を経て、あらゆる可能性が出つくされたと言われるなか、コンテンポラリージュエリーはこれからどこへ向かうべきか?を問う人たちがアーテイストの中に出てきました。
その中の一人にテッド・ノートンという人物がいます。
彼はデザイン界でもその名が知られており、数多くのオランダのジュエリーアーテイストの中でも異彩を放つ存在です。オープンな姿勢で他分野とのコラボレーションにも積極的に取り組み、常に新たな挑戦を続けているテッド・ノートン。
ジュエリーという存在そのものにつきまとうエリート主義を忌み嫌い、誰にでも手が届く、民主的なジェエリーを標榜しています。そのコンセプトはクリアでクール。思わず欲しくなる魅力にあふれています。
例えばオランダ王妃のティアラのコンペ。パパラッチから身を守れるようにと銀色のヘルメットをティアラ型にくりぬき見事金賞受賞。
お金がない人でも「ベンツのオーナー」になれるよう、本物のベンツを切り刻んでブローチに仕立て上げたり。。。

3.『マニフェスト』:テッド・ノートン
このテッド・ノートンが、コンテンポラリージュエリー界に投げかけた”マニフェスト”という警鐘が大きな議論を引き起こしています。
8年ほど前、書籍に掲載された文章ですが、
最近になって『Current Obsession』というオランダ発のジュエリー雑誌が営むウェブサイトに転載されました。これが再び大きな話題になっています。テッド・ノートン ”マニフェスト” をご紹介します。

*以下、Current Obsession 誌 ウェブサイトに掲載された記事の和訳です。
是非リンク先にアクセスしてみてください。
http://current-obsession.com/Ted-Noten-Manifesto


『テッド・ノーテン マニフェスト』
ストリート礼賛
”新しいジュエリーのマニフェスト”

もし山とセックスができるなら、俺は山とセックスする。
谷あいにいる女とセックスするんだ。

(パレス・ブラザーズ:ザ・マウンテン・ロー)

コンテンポラリージュエリーは死んだ。私たちの目の前で崩れおちたのだ。折れ曲がり、壊れはて、死後硬直が訪れたその姿を見るがいい。アート界お決まりの墓守に守られ、透明な棺の中に飾られたそれは、ガラスの向こう側で腐臭を放つ。

その死亡記事は招待状やカタログに品よく紛れ込み、いくばくもない余命を謳歌している。

約 束の時間がくれば、いつもの格調高い群衆が大広間になだれ込み、式典に花を添える。死者を悼んでグラスを掲げ、冴えた分析を交わし、認知度の低さを嘆き悲 しむ。このコンテンポラリージュエリーデザインの一大ミサに居合わせている熱心な信者以外は全員視覚障害者だとでも言いたげだ。ジュエリー作品は壁につる されたその時に今際の際の叫びを漏らし、助けを求めていたというのに。何もかもがうまく行こうというそのとき、その命運は尽きてしまっていたのだ。

それまでずっと、ビジュアルアートには周回遅れを取らされっぱなしだったが、その時ばかりは、次の曲がり角をのんびりと流していて、コンテンポラリージュエリーの手が届くのももう間近だった。あと少しで肩を並べられていたのだ…。

あの大胆不敵なる1960年 代に始まったこのレースの中で、あともうひとスパートで事足りたのだ。それから今まで何を怠って、愛好家の好意に甘んじるようになってしまったのか?金持 ちの慰みものという風評と縁を切り、抽象的な表現も受け入れられた挙句の果てが、趣味の良さを本位に作ることに抗議するアーティストのリリシズムに支配さ れるだけだとは。美術館は公認の舞台となり、ジュエリーはまたも、虚栄心の中に存在する自身の価値を謳歌すべき時がきたと決め込んだ。

ジュ エリーデザインは、ビジュアルアートの中に居場所を求めて大きく自己改造した結果、もはや終わりは目前だ。ついに正義が果たされ、ミッションは完了。ゲー ムオーバー。その過程で地位の獲得に固執したあまり、本来の目的を見失い制御が効かなくなってしまった。解放への戦いが最終目標になり変わり、そして、破 綻が訪れた。そして今、心不全患者のレントゲン写真のように、ギャラリーの壁に吊るされている。作者の作業机の上でもうすでに息絶えていたことなど知りも せず、ガラスケースの中に鎮座する。

コンテンポラリージュエリーは幻想だ。微々たる信頼性を授けようと弁解しいしい書き手が綴る物語と同じぐらい作りごとめいている。

書 き手は、1つひとつが独自の工程を踏んで作られていることを武器に、コンテンポラリージュエリーの存在を正当化しようとしているのだ。それは特定の一作品 や、あるデザイナーの作品全般に限らず、業界全体の存在のことだ。彼らは飽きもせず神話を提唱する。彼らの手にかかれば、ジュエリーは1つ残らず、前例な き作品と解釈される。一点物で、才気あふれる天才の手による作品ということになる。だが一方で、そうして1つの作品に送った賛辞がそっくりそのまま業界全 体の賛辞になっているのだ。

彼 らのペンは、神のみことばの真の担い手、つまりジュエリーが新しくあるには、それが何を訴えるべきかを直観で閃きがちなアーティストの脳の中を探りまわ る。ジュエリーとは、個人の恐れ、強い高揚、さまざまなイメージがつくる強固な礎を足場に動き出し、新たな意味を獲得するものだ。書き手の紡ぐ物語は、天 の伝書使いも同然のジュエリー年代記の編者による記録だ。彼らの言葉を額面通り受け取れば、自分がか細いロープからぶら下がっていることに気づくはずだ。 彼らの言葉は、ジュエリーデザインの世界は毎日新たに創造され、創意工夫が生まれるたびに、その世界の真実がまた少し明らかになるかのような印象を抱かせ るからだ。

書き手は、コンテンポラリージュエリーデザインは革新的たるべしという絶え間ない欲求に対する独善的な信念を認めてはいるが、このいわゆる革命から40年 を経たいま、彼らが紡ぐ創造主の物語はこの領域の心臓がてんかん発作に襲われている事実を隠せはしない。コンテンポラリージュエリーは、機能性と、かつて 弱体化を試みた因習にどっぷりつかっているという点で社会奉仕団体のロータリークラブの記章と同じようなものだ。同じ言語を話す連中同士で認識するための 簡易なジェスチャーとなってしまったのだ。少人数の仲間内だけで価値を持つ、錆びついた決まりごとに。

コ ンテンポラリージュエリーは自閉症だ。新聞も本も読まない。それはそういう主義の持ち主だからではなく、興味が欠落しているからだ。コンテンポラリージュ エリーは現実逃避への願望と同じ強度で、歴史を疑う。コンテンポラリージュエリーは、批判、疑問、比較、そしてその意図にほんの少しでも疑いがかけられる のを避けようと、不可解なまでに曖昧な独自の言語を後生大事にはぐくんでいる。

沈 黙という壁に隠れ、非難を避け陳腐な日常的な現実に参加することを拒む。時には技術の達者さゆえ、その壁自体が意味を帯びることすらある。高尚なる沈黙が 自律した力を持ち、その力が、本来備え持つ限界以上の高みまで作品を引き上げるというようなときだ。しかし、たいていは、わがままを通そうとする子ども が、口を固く結び腕組みをして頑固に押し黙るのと同質の、単なる不機嫌による沈黙だ。これは親という権威が相手の負け戦でしかない。
というのも、結局は、誰の息が一番長く続くかが勝負の決め手だからだ。

一切の批判的な文脈で語られるまいと望んだコンテンポラリージュエリーがようやく得たのはさらなる孤立だけだった。アート界からだけでなく、大衆からも孤立した。注目してもらえないと文句を言うくせに、自ら引きこもって僻地生活を送っているのだ。

こ の、隔離された安全なアトリエの中で、激しい情熱は素材のすみずみまで叩き込まれ、成形のために型に流されて作品に封じ込められる。この工程そのものは何 千年と続くジュエリーの制作行為の変わらぬ特徴でだが、デザイナーではなく着け手の野心と功績を物語るアクセサリーとしての存在こそが自らの使命だと見極 め自覚してこそ均衡が保たれていた。これはいかにも月並みで当然技術を基準に判断されるということだが、それゆえ多くの人が認識、理解することができるの だ。

ゴールドスミスは市場に追従し、技量次第では、その時代の趣味やファッションに影響を与えることもできた。
うまくいけば、その作者が手がけたことを示す消えないサインを作品に入れられるという例外的なケースもあった。

現 代のジュエリーは発展の途上でこのシンプルな理論を失った。デザイナーは誰も彼も我こそがその例外と思い込むようになった。彼らの話はどれも、エンドユー ザーである着け手の優位に立つ。作り手のサインを証明する必要は消え、議論の対象のアプリオリではなくなり、制作の源泉であると同時に究極の目標となった のだ。これは、かつては概して外交的な性質だった装飾を、ほぼ完全に内向的な彫刻に変容させてしまったのだ。店舗よりもギャラリー、街中よりもコレクショ ン、社会での交流よりも、友人同士の会話の方を選ぶようになった。

コンテンポラリージュエリーは余剰品だ。結局、コンテンポラリージュエリーは、その他のビジュアルアートも同じく掘り下げていない何をもたらすことができるというのだろうか。親密さ、困惑、のぞき見的な好奇心、なぐさめ、活力、沈黙、美…?

そ れらはいずれも、ジュエリーデザイナーの専売特許ではない。着け手が争点から除外され、コンテンポラリージュエリーにもっとも明確な意味を与えていた社会 的規範が非難され始めてから、コンテンポラリージュエリーはその存在理由を手放したのだ。それに次いで起きたのは、暗さを増すばかりのトンネルの中で非常 出口を探す必死で無益な捜索活動だった。自ら招いた孤立を思い切って放棄しない限り、この領域は周縁中の周縁に腰を据えざるを得なくなるだろう。ほとんど 気付かれず、間違いなく問題にもされず。必死に身の安全を求めたところで、ライバル不在の存在にはおもしろみのかけらもない。わずか数平方インチの代物が 自身の正当性を認めて完結しているだけだからだ。生き残るチャンスが欲しくば、一歩踏み出して危険地帯に足を踏み入れることだ。いままでのやり方を忘れる ために、手仕事に回帰するのだ。それは、40年間にわたる信念を手放し、それ以前に何世紀も連綿と続いてきた迎合主義と挑戦を手に入れるということだが、その方がはるかに豊かな源泉となるに違いない。

ジュエリーは感情的たれ。妥協を探るな。

ジュエリーは、大衆を感動させたくば、大衆のものになれ。

ジュエリーは、奪い、奪われる機会をうかがうべし。

ジュエリーは、味方をつくるために、敵を大事にすべし。

ジュエリーは、アトリエで心理分析することなど忘れよ。

ジュエリーは、食らい、食らわれるために街に出よ。

ジュエリーは、恥知らずなまでに好奇心旺盛たれ。

ジュエリーは、どこを攻撃すべきかを探り、守りは忘れよ。

ジュエリーは、伝統的なルールを打破するために、それを利用せよ。

ジュエリーは、許したり忘却したりすべきでない、

ジュエリーは、すべての規定を無視すべし。


テッド・ノーテンとゲート・スタールの共同執筆による「ストリート礼賛:新しいジュエリーのためのマニフェスト」は「Ted Noten: CH2=C(CH3)C(=O)OCH3 enclosures and other TNs」から一部抜粋したものです。

このページに使用されている画像は CURRENT OBSESSION の所有物ではなく正当な所有者に属します。もしこれらの画像があなたのもので、このページから削除することを希望される場合はお知らせください。

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この記事の内容を無断で転載することはかたくお断りいたします。また、この記事は、テッド・ノーテン氏、マリナ・エレンスカヤ氏、サラ・メズリッツ氏の寛大なる許可をいただいて翻訳しています。
翻訳:Makiko Akiyama


The Drog collection (red)
100 Brooches/Mercedes-Benz-E-class 210/2003


Lady K, 2004


Ice cream girl (from side)


ice cream girl


Ted Noten
http://www.tednoten.com/

create something out of nothing for love… it is a woman

何もないところから女性が布を生み出す織物は、出産の過程によく例えられます。木綿を紡いで糸を作り、機に掛けたたて糸によこ糸を一本また一本と打ち込むことで時間の経過と共に布が空間に広がってゆく、胎児が子宮内で成長してゆくように。そして布は織りあがりこどもは生まれる。
女性が家族のため、自分のため、愛するだれかのために生み出すものに美しさを感じる。

The woven fabric comes into existence from nothing. The women who make it often compare the process to giving birth. Twist cotton to make a thread, setting up warp and weave the woof through it one by one. When time goes by, the textile takes on shape. It is like graving babies in the womb.I feel beauty the woman making something for her family, herself and someone one loves.


“Journey to Laos”
☆1st STOP
軽井沢 ニューアートミュージアム:ミュージアムショップ
http://knam.jp/
日時:7月4日(金)ー 8月4日(月)10:00-18:00 休:火曜日 
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1151-5

Karuizawa New Art Museum :Museum Shop
http://knam.jp/
Friday, July 4-Monday,August 4 2014 /10:00-18:00/ Closed on Tuseday

LAKUYOHSOU in KYOTO


fine weather after the rain, Kamo river in Kyoto

Starting the preparation of Gion Matsuri at Yasaka Jinjya.



This is the entrance of RAKUYO-SOU, hanging textile, we call it “NOREN”.
Noren is a role of face, it shows Rakuyoso’s character.
Okami-san choose nice color of Noren.
It is very nice combination of color with blue sky in summer.
I love this choice very much.


Clothes made by fujii+fushikino : http://www.maisondexceptions.com/en/fujii-fushikino-une-coloriste-et-une-couturiere/?utm_source=display&utm_support=social&utm_medium=social&utm_campaign=PPA42&utm_content=blogME


This is “Shimenawa” it made from hemp. so that they are shining, beautiful!


Okami-san, her name is Yukiko-san.She is very nice person.

Rakuyoso
It is located in Sakyo-ku district in the northeastern part of Kyoto.
This area was once surrounded with six temples: Hosshoji, Sonshoji, Saishoji, Enshoji, Seishoji, Enshoji, which are known as Rokushoji Temples and were built by Fujiwara family. From Rakuyoso, you can enjoy magnificent views from all directions: Higashiyama Sanjuroppo in the east, Heianjingu Shrine in the west, Ginkakuji Temple in the north, and Nanzenji Temple in the south.

I start to think about making an exhibition here.
It should be crossed culture and histories with Rakuyoso spirits.
then beautiful harmony will be born there.
xxx
LAKUYOHSOU
http://kyoto.lakuyohsou.com/

まれびと


まれびと 
妣が国 = 失われた時
母親の系統を通じて伝えられる一種の遺伝情報である。父親の系統は、社会制度や神話など文化をつうじて自分たちの記憶を伝えていこうとしている。しかし、
『母親の系統は無意識の記憶のなかに貯蔵されて、文化よりもはるかに遠い時代までも、自分を伝えていくことができる』
”古代から来た未来人折口信夫” 中沢新一
_
折口信夫
まれびと
このタイミングで彼に出会えたことは偶然なのか、必然なのか?
言葉遊びなど消え失せ、古代から引き継ぐ身体の感覚の強さを、
生々しさを自分の中に思う。
もしこの感覚のなかでわたしが生きるのであれば、
感情や感覚はわたしだけのものでなくなり、大きく渦を巻き、
ある影響を及ぼす存在にならねばならぬ。
知性を超える激しさや暖かさ、そして苦しさをひきうけなくてはならぬ。

2014, 7/3 降りてきた言葉たち。

Journey to Laos vol.1 in Kanazawa New Art Museum


It is rainy day, but the flower is blooming and I can hear birds chirping.
…Nice atmosphere!

there is a shop on the right side

空気の澄んだ軽井沢、旧軽井沢にいく途中に美術館はあります。ふらっとのぞいてみてくださいね。

*1st participating Artists
Janny Huang Yokota(TW)
Atsuko Ito(JP)
Ikuko Matsuo(JP)
Mariko Yamashita_imago(JP)

"Journey to Laos”

☆1st STOP
軽井沢 ニューアートミュージアム:ミュージアムショップ
http://knam.jp/

日時:7月4日(金)ー 8月4日(月)10:00-18:00 休:火曜日 
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1151-5

Karuizawa New Art Museum :Museum Shop
http://knam.jp/
Friday, July 4-Monday,August 4 2014 /10:00-18:00/ Closed on Tuseday

AURA


This is actually “AURA”

My hypothesis:
“Art” stands for “desire” led by intuition with affection and rational mind of human.

Journey to Laos “from Vientiane to Vang Vieng

On the way to Vang Vieng, Suddenly the weather changed, strong wind and hailstorm,
Wind toppled electrical poles and snapped wires.
ヴィエンチャンからバンヴィエンに向う途中の急な嵐。雹が降り、強い風。途中電柱が倒れ死ぬ!と思いました。


After storm, Wonderful landscape appeared. those pictures were taking only in Hotel, so I will show you amazing landscape next blog.

ストームのあとは、嘘のような美しい世界でした。ホテルの中だけでもこんなに瑞々しい花々が。紅い蟻むしさんは、赤土によく合います。
次のブログでまた、素晴らしいラオスをお届けします。


"Journey to Laos”
☆1st STOP
軽井沢 ニューアートミュージアム:ミュージアムショップ
http://knam.jp/
日時:7月4日(金)ー 8月4日(月)10:00-18:00 休:火曜日 
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1151-5

Karuizawa New Art Museum :Museum Shop
http://knam.jp/
Friday, July 4-Monday,August 4 2014 /10:00-18:00/ Closed on Tuseday


☆2nd STOP
Tokyo_トウキョウ

Journey to Laos vol.1 Atsuko Ito

息をしている多様な粒を
閉じ込めてみたかったけれどそれは、
無限のくうにさわさわと
伸びゆきて
自由を掴みとったあと
あらゆるものを包容し
復した

The various beads that seem to breathe.
Though I wanted to shut it into a cage ,
it grew and branched into infinite air
and grasped freedom.
After all, it embraced all
with behavior of mother
and was there.

Atsuko Ito 2014


http://www.o-jewel.com/projects/journey-to-laos/

"Journey to Laos”
☆1st STOP
軽井沢 ニューアートミュージアム:ミュージアムショップ
http://knam.jp/
日時:7月4日(金)ー 8月4日(月)10:00-18:00 休:火曜日 
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1151-5

Karuizawa New Art Museum :Museum Shop
Friday, July 4-Monday,August 4 2014 /10:00-18:00/ Closed on Tuseday

☆2nd STOP
Tokyo_トウキョウ